ミニ歴史講座16

シリーズⅠ 「西郷頼母ってどんな人」⑯

白河を手中に収めた新政府軍は北に兵を進め、7月26日に三春藩を戦わずして降服させ、その手引きにより7月29日には二本松藩を攻略します。
新政府軍は当初、仙台藩や米沢藩などの会津周辺の諸藩を押さえた後、孤立した会津藩を一挙に攻撃する戦略でした。しかし、二本松在陣の土佐藩(高知県)参謀板垣退助は、「今、会津城下は国境守備に兵を出して手薄であり、しかも季節は秋、間もなく雪が降れば進軍は困難になってしまう」として一挙に会津に攻め込む作戦に変更しました。
8月21日、新政府軍2000名は、幕府伝習隊・大鳥圭介、新選組・土方歳三らが守備する会津国境の関門、母成峠を一気に突破、すかさず虚をつかれて混乱する猪苗代城を占拠し、翌22日には猪苗代湖水唯一の出口に架かる十六橋付近まで兵を進めました。

【母成峠古戦場跡】
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