シリーズⅠ 「西郷頼母ってどんな人」②
慶応4年(1868)正月3日、鳥羽伏見の戦いから端を発した戊辰戦争で、会津藩は幕府勢力の中心となって最後まで戦いました。
「勝てば官軍」のたとえのとおり、この戦争で敗者となった会津藩の人たちは、会津の領地を取り上げられ、遠く下北半島へ移住させられ大変悲惨な生活を強いられました。
しかし、その中にあって会津藩の末路を予見し、また一身を投げ出し最後の一人になっても戦争の回避を主張し続けたため、同じ会津藩の人たちからも敬遠され、冷たく接しられる数奇な人生を歩んだ人がいました。会津武家屋敷の最後の主であった西郷頼母近悳がその人でした。
西郷頼母近悳は父・近思、母・律子の長男として文政13年(1830)閏3月24日、若松追手前の屋敷で生まれ、龍太郎と名付けられました。
次の回では、近悳の誕生と西郷家の家柄について紹介します。
【西郷邸址碑 鶴ヶ城追手口前】