ミニ歴史講座11

シリーズⅠ 「西郷頼母ってどんな人」⑪

文久2年(1862)12月24日、京都に到着し黒谷金戒光明寺を本陣とした容保は、年が明けた正月2日、新年のあいさつのため初めて御所に参内し、孝明天皇との面会をはたしました。朝廷の勅使への待遇の改善に尽力した容保に対して、かねてから好感を抱いていた天皇は自分の緋色の衣を容保に下賜する事によって深い感謝と期待を示したのです。
容保と会津藩士達は、この天皇と朝廷からの期待と信頼に答えるべく、昼夜の別なく市中の警備にあたりました。『会津肥後さま 京都守護職つとめます 内裏繁昌で公家安堵 トコ世の中 ヨウガンショ』という俗謡が京の人々に歌われるほど再び洛中には平穏な日々が戻りました。
また、将軍警護のために上洛し、そのまま京都に残った近藤勇、土方歳三、芹沢鴨らの浪士達(後の新選組)を松平肥後守御預かりとして会津藩の指揮下においたのもこの頃でした。

【緋の衣を賜る容保の図 長谷川恵一画】
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