ミニ歴史講座15

シリーズⅠ 「西郷頼母ってどんな人」⑮

この状況に対応すべく復職を命じられた頼母は、白河口総督として不退転の決意で出陣し、一度は奪われた白河城奪還(4月25日)に成功しますが、5月1日には態勢を整えた西軍により再びこれを奪われた上に、700名もの死傷者を出してしまい、会津兵を中心とした奥羽越列藩同盟軍は潰走を余儀なくされます。
任を果たせないまま鶴ヶ城に戻った頼母は、その実戦の経験から兵器の性能の格差を痛感し「たとえ決戦を臨んでも勝利する事は出来ない」として、容保に恭順することを進言します。しかし頼母の意見はまたしても受け入れられず、8月2日には白河口敗北の責任を問われて二度目の免職閉門を言い渡されてしまいます。

【白河城】
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